2015年05月13日
今朝のお供えです。
カレンキングストンさんから独立してから、自分自身のオリジナルお供えを作ってきました。
花はバリ島やカレンキングストンさんのスタイル。
そこに榊や折り紙でのお皿を加え、三宝の台にのせる。
和を意識した僕オリジナルのお供えを作りました。
毎日このお供えを続けています。
僕にとってお供えは本当に大切な時間で、とにかく毎日やりたいと思うほど。
カレンキングストンさんのもとにいたときから計算すれば、もう5年ほど、お供えを続けていることになりますが、全然飽きません。
またオリジナルを作ってからよりお供えが好きになってきています。
お供えはなんのために行っているかというと、
自分を越えた、崇高な存在に対してお供えをして、自分自身がその崇高な存在を感じられるためです。
別にそれは何か神様をイメージしているとか、空想している、ということではなくて、
その崇高なエネルギーを実際に感じながら行っています。
日本人の私たちにとってお供えはとても身近なもののように感じます。
神棚にお供えをする、
仏壇やお墓ににお供えをする、
など、実際に経験した人も多いのではないでしょうか。
また私たちは神社や仏閣にもよく行きます。
例えば神社を訪れようと訪問した場所でなくても、神社があったらちょっと手を合わせてみようと思ってたちよる人も多いのではないでしょうか。
僕が感じるのは、なぜそのようにお供えをしたり、神社や仏閣に訪れるのかというと、
自分を越えた聖なる存在や崇高な存在を感じたい、そこと繋がりたい、そんな気持ちが私たちの中にあるから、と感じます。
これだけ物質社会になってきていても、私たちは神社や仏閣にいくことをやめません。
普段それほど信仰心をもって何かを拝んだりしていなくても、自然と足を運びます。
これは世界では見られない、日本人にとてもユニークな特質であるように感じます。
神社や仏閣だけでなく、木、岩などにも神や精霊が宿ると考えるのも、日本のユニークな特質です。
普段それほど意識していなくても、大げさに言えば、どこか私たちのDNAの中に、自然に神や精霊が宿るということ、神社や仏閣には聖なるものや神が宿ると潜在的に思っているように感じます。
繰り返しますが、これは本当に日本のオリジナルのあり方です。
そうした聖なるものが宿る自然を日本は本当に大切にしてきています。
お供えもそうした日本のオリジナルのものの一つのように感じます。
だれでもお供えを見たことがあって、実際にお供えをしたことがあるという人も少なくないのではないでしょうか。
こういったことは、例えばバリ島とか一部のアジアの国を除けば、世界でもなかなかない習慣です。
その一方で、現代では神社仏閣に行ったり、お供えをしたりすることが、「形式的」になっているのも事実のように感じます。
例えば、神社で、「二礼、二拍手、一礼」などという形式に従って参拝ができていても、実際にどれだけの人がそこの神社に宿る崇高な存在やエネルギーを感じながらやっているかというと、本当に一握りの人のように感じます。
パワースポット、拝所を訪れるのも、ブームになってそこに行ったりしていても、実際にその場のエネルギーを感じて、そこの崇高な存在と繋がっている人がどれだけいるかというと、本当に少ないのではないでしょうか。
もともとは、その形式にそって行うことで、崇高な存在が感じられた、そことつながれていた。
しかし、そのエッセンスが消えて、形式だけが残ってしまう。
形式、形が残り、実質的なエッセンスが消えつつある、それが現代のように感じます。
それは例えばはやりの「風水」も同じように感じます。
風水は「氣」と調和した生き方をすることだと思いますが、「氣」を感じるという実質的な部分がどんどんなくなってしまって、何をどこに配置するといい、何色がいい、などといった形式が注目されるようになっているのを感じます。
対照的に、昔はきっと形式だけではなく、実質的に、崇高な存在を感じたり、神とのつながりを持っていたように想像します。
例えば、僕の祖母は大正生まれ、91歳で今も元気ですが、スペースクリアリングの水を彼女に掛けてあげたとき、何も説明をしていないのに、その水が特別な水だと感じていました。
別に彼女はスピリチュアルな研鑽を積んだわけでもないのに、育ってくる中で、自然と目に見えないものを感じたり、それと調和して生きることを学んでいたのだと思います。
それが、現代社会になって、どんどん物質主義が進んで、ものが全て、という考え方が主流になってきました。
経済成長、お金をもうけること、そうしたことに価値が見出され、日本古来のスピリチュアルなものを大切にする姿勢は薄くなってきているように感じます。
そして、以前は自分たちで聖なる存在や崇高な存在を感じながら行っていた参拝やお供えも、形式のみが残り、形式をただ続けているようになってしまっているように思います。
6月20日に開催する、「キヨ式空間浄化 お供えを学ぶワークショップ」は、もともとスピリチュアルな存在とのつながりが深かった私たち日本人が、お供えによって、現代の社会に生きながらスピリチュアルな存在を感じる練習になると思って企画しました。
これは昔に回帰するため、伝統に戻るため、
ではありません。
ここまで物質社会が進んできて、昔は持っていた崇高な存在を感じる能力が薄れて、形骸化してしまった現代で、昔と同じようにできることはないと感じます。
昔はほぼ無意識にできていたことが多いと思います。
何も考えなくても、両親から習ったり、伝統のおかげで、自然に崇高なものを感じたり、エネルギーに自覚的に生きてこれた。
現代の私たちに求められていることは、もう一度無意識にできるようになるのではなくて、意識的に、自覚を持って、できるようになることだと思います。
だから、きちんとした理論を学んだり、体系的にスピリチュアルなものを勉強することがとても大切のように思います。
「お供えを学ぶワークショップ」はその一環として開催したいと思って企画しました。
また、瞑想ワークショップ「第三の目を覚醒させる」(6月13日14日東京、7月4日5日沖縄)も同じく、昔は自然に、無意識に出来ていたけれども、失ってしまった私たちのスピリチュアルな能力を、自覚的に、体系的に学ぶための場です。
そのためのキーになるのが第三の目。使わなくなったことで眠ってしまっている第三の目を使い、覚醒させることを目的としたワークショップです。
ですので、お供えを学ぶワークショップと第三の目を覚醒させる瞑想ワークショップは二つとも受講することで本当に相乗効果があります。
また、日常で、お供えをして、瞑想をすることができるようになることで、神社や仏閣に行かなくても、日々の生活で崇高な存在を感じ、そこと繋がった生活ができるようになっていきます。
別にだれかにやってもらわなくても、
自分で理論を学び、体系的に実践していくことで、自分でできるようになります。
「自分でできる」
これがこれからの時代のキーワードになると思っています。
そして、僕たち日本人は、西洋の人たちが自分でできるようになるのとはちょっと違う状況にいるように思います。どんどん形骸化はされて来ましたが、お供え、神社や仏閣に参拝することがまだ生活の中に残っていたり、自然の中に崇高な存在や神をみるということが残っているからです。
自分でできるようになるための、「お供えを学ぶワークショップ」。
自分でできるようになるための、「瞑想ワークショップ」。
ぜひみなさんにもお勧めしたいと思います。
自分を越えた、崇高な存在に対してお供えをして、自分自身がその崇高な存在を感じられるためです。
別にそれは何か神様をイメージしているとか、空想している、ということではなくて、
その崇高なエネルギーを実際に感じながら行っています。
日本人の私たちにとってお供えはとても身近なもののように感じます。
神棚にお供えをする、
仏壇やお墓ににお供えをする、
など、実際に経験した人も多いのではないでしょうか。
また私たちは神社や仏閣にもよく行きます。
例えば神社を訪れようと訪問した場所でなくても、神社があったらちょっと手を合わせてみようと思ってたちよる人も多いのではないでしょうか。
僕が感じるのは、なぜそのようにお供えをしたり、神社や仏閣に訪れるのかというと、
自分を越えた聖なる存在や崇高な存在を感じたい、そこと繋がりたい、そんな気持ちが私たちの中にあるから、と感じます。
これだけ物質社会になってきていても、私たちは神社や仏閣にいくことをやめません。
普段それほど信仰心をもって何かを拝んだりしていなくても、自然と足を運びます。
これは世界では見られない、日本人にとてもユニークな特質であるように感じます。
神社や仏閣だけでなく、木、岩などにも神や精霊が宿ると考えるのも、日本のユニークな特質です。
普段それほど意識していなくても、大げさに言えば、どこか私たちのDNAの中に、自然に神や精霊が宿るということ、神社や仏閣には聖なるものや神が宿ると潜在的に思っているように感じます。
繰り返しますが、これは本当に日本のオリジナルのあり方です。
そうした聖なるものが宿る自然を日本は本当に大切にしてきています。
お供えもそうした日本のオリジナルのものの一つのように感じます。
だれでもお供えを見たことがあって、実際にお供えをしたことがあるという人も少なくないのではないでしょうか。
こういったことは、例えばバリ島とか一部のアジアの国を除けば、世界でもなかなかない習慣です。
その一方で、現代では神社仏閣に行ったり、お供えをしたりすることが、「形式的」になっているのも事実のように感じます。
例えば、神社で、「二礼、二拍手、一礼」などという形式に従って参拝ができていても、実際にどれだけの人がそこの神社に宿る崇高な存在やエネルギーを感じながらやっているかというと、本当に一握りの人のように感じます。
パワースポット、拝所を訪れるのも、ブームになってそこに行ったりしていても、実際にその場のエネルギーを感じて、そこの崇高な存在と繋がっている人がどれだけいるかというと、本当に少ないのではないでしょうか。
もともとは、その形式にそって行うことで、崇高な存在が感じられた、そことつながれていた。
しかし、そのエッセンスが消えて、形式だけが残ってしまう。
形式、形が残り、実質的なエッセンスが消えつつある、それが現代のように感じます。
それは例えばはやりの「風水」も同じように感じます。
風水は「氣」と調和した生き方をすることだと思いますが、「氣」を感じるという実質的な部分がどんどんなくなってしまって、何をどこに配置するといい、何色がいい、などといった形式が注目されるようになっているのを感じます。
対照的に、昔はきっと形式だけではなく、実質的に、崇高な存在を感じたり、神とのつながりを持っていたように想像します。
例えば、僕の祖母は大正生まれ、91歳で今も元気ですが、スペースクリアリングの水を彼女に掛けてあげたとき、何も説明をしていないのに、その水が特別な水だと感じていました。
別に彼女はスピリチュアルな研鑽を積んだわけでもないのに、育ってくる中で、自然と目に見えないものを感じたり、それと調和して生きることを学んでいたのだと思います。
それが、現代社会になって、どんどん物質主義が進んで、ものが全て、という考え方が主流になってきました。
経済成長、お金をもうけること、そうしたことに価値が見出され、日本古来のスピリチュアルなものを大切にする姿勢は薄くなってきているように感じます。
そして、以前は自分たちで聖なる存在や崇高な存在を感じながら行っていた参拝やお供えも、形式のみが残り、形式をただ続けているようになってしまっているように思います。
6月20日に開催する、「キヨ式空間浄化 お供えを学ぶワークショップ」は、もともとスピリチュアルな存在とのつながりが深かった私たち日本人が、お供えによって、現代の社会に生きながらスピリチュアルな存在を感じる練習になると思って企画しました。
これは昔に回帰するため、伝統に戻るため、
ではありません。
ここまで物質社会が進んできて、昔は持っていた崇高な存在を感じる能力が薄れて、形骸化してしまった現代で、昔と同じようにできることはないと感じます。
昔はほぼ無意識にできていたことが多いと思います。
何も考えなくても、両親から習ったり、伝統のおかげで、自然に崇高なものを感じたり、エネルギーに自覚的に生きてこれた。
現代の私たちに求められていることは、もう一度無意識にできるようになるのではなくて、意識的に、自覚を持って、できるようになることだと思います。
だから、きちんとした理論を学んだり、体系的にスピリチュアルなものを勉強することがとても大切のように思います。
「お供えを学ぶワークショップ」はその一環として開催したいと思って企画しました。
また、瞑想ワークショップ「第三の目を覚醒させる」(6月13日14日東京、7月4日5日沖縄)も同じく、昔は自然に、無意識に出来ていたけれども、失ってしまった私たちのスピリチュアルな能力を、自覚的に、体系的に学ぶための場です。
そのためのキーになるのが第三の目。使わなくなったことで眠ってしまっている第三の目を使い、覚醒させることを目的としたワークショップです。
ですので、お供えを学ぶワークショップと第三の目を覚醒させる瞑想ワークショップは二つとも受講することで本当に相乗効果があります。
また、日常で、お供えをして、瞑想をすることができるようになることで、神社や仏閣に行かなくても、日々の生活で崇高な存在を感じ、そこと繋がった生活ができるようになっていきます。
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