2017年04月17日
おはようございます。
今朝もお供えと瞑想からスタートしました。
瞑想は心を落ち着ける、内面を整えると言われますが、今日も自分で瞑想をしながら本当にそうだなあと思いました。
好きな人が出来ると、その人ばかり考えてしまって、相手の言動に振り回される自分。
それに気づいて克服中ですが、これは僕の本当に長年のパターンで、簡単に克服できるものではありません。
でも自覚ははっきりと持てるようになってきて、そのことを今日は自分でまとめたので書きたいと思います。
「会いたい」
「返事が欲しい」
「ずっと一緒にいたい」
こんな自分の部分があります。
いつもはそれほど活発ではないのですが、好きな人が出来るととたんに活発になる部分です。
今すぐ欲しくて、待つのが本当に苦手です。
会えない時間が長かったり、
返事が来ない時間が長かったりすると、
もうパニック状態に近くなります。
「どうして会ってくれないんだろう、他にいい人がいるのかな」
「返事しづらいメールだったのかな、あんなこと書くべきじゃなかったかな」
心配や不安はどんどん増えて、
最後にはもう生きているのがしんどい、そんな風に思うことさえあります。
大げさに言っているんじゃなく、
本当の話です。
今好きになった人とも、なかなか会えなくて、それが本当に苦手な僕です。
より厳密に言えば、僕のある部分が、それを本当に苦手としています。
会えないのが苦手なのは僕のすべてではなくて、僕の中には、会えなくても返事がなくても落ち着き、平安な気持ちの自分はいます。
それは、ここでよく書いている「自分の軸」のことで、具体的には第三の目や頭の上の器官に意識を置いていると、自分の軸に戻ってこられる感じがします。
であれば、常にそこに意識を置いていれば、
今書いているような心配や不安は出てこないんじゃないの?
って思われるかもしれないのですが、
僕にとってこれが本当に苦手で、難しいものなんです。
たぶん、他のこと、つまり恋愛に関係しないことであれば結構すんなりできたりします。
まあ返事が来ないのは忙しいんだろう、
向こうもやることはあるし。
とすんなり受け入れられます。
でもこれが恋愛となったとたん難しい。
これは今に始まったことではなく、ずっと昔からです。
振り返れば、例えば、若い頃彼氏のいる人を好きになった時、
もうその人のことしか思えなくて、今その人が何をしているのかずっと気になって、一緒にいたくてしょうがない、ということがありました。
その時はまだ時間もあって、相手も僕と一緒にいる時間もあり、気持ちもあったので一緒にいれて、一緒にいるときは落ち着いていました。
でもこれは、先ほどから書いている自分の「会いたい」「ずっと一緒にいたい」という部分を二人の関係で満たしていて、あまり健全ではなかったように思います。
もちろん愛もあったのですが、知らず知らずにこうした自分の部分を満たそうと躍起になっていました。
結果その人は彼氏と別れない決断をして、
僕達の間は終わりましたが、その後が本当に大変でした。
2年間ぐらい引きづりました。
仕事中はまだ集中できているからいいんですが、例えばトイレに席をたって、鏡を見ると涙があふれてきてしまう、電車に乗って彼のことを思い出すと涙が止まらなくなる、本当にそんなことがずっと続きました。
今思うと、彼と分かれて「会いたい」「一緒にいたい」という自分の部分が満たされなくてパニックだった僕でした。
会えない、一緒にいられない、ということでの寂しさを他の男で満たそうとしたりして、
当たり前ですがそれでは満足するはずもなく、結局うまくいかない。
こんなことを2年くらい繰り返していました。
昨年北海道の人から口説かれた時もそう。
会ってもいないのに、君のことが好きだ、好きだ、とメールで猛アタックの彼に、運命の出会いかもと自分の見失い、連絡を取り合っていました。
最初はやりとりが頻繁だからいいのですが、だんだん相手から返事が来なかったり、ラインが既読のまま返事がなかったり、以前のように熱烈な言葉を書いてくれなくなると、いつもの不安が出てきていました。
「なぜ返事してくれないのだろう」「もう僕のこと前ほど好きじゃないのかな」
離れたくない、もっと近づきたいと、メールのチェックがやめられなくなったり、返事がないことにさらにこちらから連絡をしてしまう、そしてやっぱり期待した返事は来ない。。。そんな悪循環。
今回好きになった人との間でも、この自分の部分が活発です。
この僕の部分、何が一番問題かというと、とにかくエンドレスなんです。
つまり、相手からたとえ返事が来たとして、一時的にうれしくなっても、また返事が来ないと不安になる。
もし会えたとしても、また会いたい、ずっと一緒にいたい、となってしまう。
きりがないんですね。終わりがない。
いつも、どこでも、どんな時も、
会えて、返事が欲しくて、大切にされたくて。
一緒に住みたい、24時間一緒にいたい、なんて気持ちすら出てきました。
この自分の部分に今回はずいぶん自覚的ですが、それでも活発で、本当にしんどくなることがあります。
会えない時間が長いので、余計にそうです。
でも、そんな時、
「もし会えたとしたら、僕はハッピーなの?それでこの不安は終わる?」
と考えると、明らかにNOなんですよね。
相手がどういう行動をとるかということは引き金にはなっているかもしれませんが、究極的な原因ではないわけです。
自分の中にあるこの今すぐ「会いたい」「返事が欲しい」「一緒にいたい」というこの部分があるからなんです。
そこがあるから、相手と会えないということが引き金になって、不安になる。
結局は外的環境でハッピーになれるわけじゃなくて、
この自分の部分に耳を傾けない、そっちにどっぷり浸からない、
そして本来の自分に戻る、それが本当の解決方法のわけです。
今回はそれに自覚的ですが、やっぱり波のようにこの自分の部分が活発になる時があって、
まるで感情と自分の軸とをいったりきたりしているような感じです。
どっぷり浸かると大パニック。
相手の答えが欲しい、相手に会いたい、となりますが、
そんなとき、ぐっとこらえて、自分の軸に戻る。
会っても解決にならない、返事が来ても、また同じことの繰り返し。
そう言い聞かせて、自分の軸へ。
たぶん、自分の苦手なものの中でトップに入るんだと思います。
好きになった人と会えない、その人といつ会えるかわからない。
好きになった人から返事がない。
それで活発になる自分の部分。エンドレスな、パターンの自分。
これとここ2週間くらいずっと向き合う日々です。
熱も出て、気づけて、落ち着いて、また波のように感情が押し寄せて、自分の軸に戻って。
僕の中に深くできあがったパターンからの卒業はそんなにたやすいものじゃないんですが、
でもここと向き合って、ここをよくしていかないと、結局また同じことを繰り返すだけです。
だから、一生懸命がんばっています。
一気に解決できればうれしいのですが、なかなかそんな簡単なものではありません。ちょっとずつでも前進したい。そんな努力の日々。
友達も温かく見守ってくれています。
友達に、「相手の事情もあるからね」と言われて、確かにそうだと思いました。
僕のエンドレスな部分は、「そんなこと言ったって、会いたいんだもん。会えると期待していたのに!」なんてやかましいのですが、友達もそこには全く耳を傾けてくれません。
笑ってさようなら。
本当にこれが大切で、こういう自分の部分に耳を傾け、それを満たそうとしていると、抜け出せなくなるんです。
エンドレスだから。
それを友達もわかっているんでしょうね。
自分を自分で分析している時、ふと気づきましたが、このエンドレスに求め続ける自分の部分は、母親に対する自分の気持ちに似ているなと思いました。
お母さんはいつでも一緒にいてくれる、僕の欲しい物を何でも与えてくれる、困ったら手を差し伸べてくれる。そうすれば僕はハッピー。
逆に、満たされないとぎゃんぎゃんさわぐ、あばれる。小さな子どものようです。
小さい頃に自分が母との間で作った関係性が、今のこの僕の部分とすごく似ています。
いつでも会いたい、ずっと一緒にいたい、すぐ返事が欲しい。すぐ満たされたいと欲する。
満たされないとぎゃんぎゃん自分の中でうるさくなる。
会えないことが本当に苦手。待つことが本当に苦しい。
何度も言いますが、周りに原因があるんじゃなく、自分の中にあるんですよね。結局。
この自分の部分にひっぱられず、本当の自分ではなくあくまで自分のパターンと捉え、自分の軸に戻る、本来の自分に戻る、これしか解決方法はないと思います。
言葉で言うのは本当に簡単なんですが、
小さい頃から出来上がった長年のパターンで、自分の最も苦手とすることなので、難しいです。
今回、
好きになった相手となかなか会えない、
こうした状況になっているのは、きっと僕を成長させるためなのかもしれない、
神様からのギフトかもしれない、
そう思うことがあります。
いつも一緒にいられる人じゃなく、なかなか一緒にいられない人と、どれだけ自分の「会いたい」「返事が欲しい」「ずっと一緒にいたい」という部分に翻弄されないで、向き合えるか。
自分の軸を保てるか。
トレーニングのようなもの。
相当ハードですが。笑。
よく、研修やワークショップでは本当に人間は変わらない、それはきっかけにはなるかもしれないけど、一番大切なのは現実の生活、普段の生活、と言われます。
これは本当にそうだと今回思います。
クレアビジョンという瞑想の学校でも、今向き合っている自分の部分を何度も見ましたし、アイシスもしました。
でもそれだけで全てが解決するわけじゃなく、実際の生活でどれだけその自分の部分に翻弄されないで生きられるか。
現場は現実社会ですね。
もちろん、アイシスをしたり、コースに参加することで、それと向き合ったり、解決に向けて進展するのは事実です。もしアイシスやコースすらなかったら、今の僕はどうなっていたんだろうと思います。
でもそれが最終解決方法ではないわけです。最終的に待っているのは現実の生活でどう対処できるか。
自分にとって簡単なものはすっとクリアできますが、
今回のように大きなものは難題です。
これまでクレアビジョンで受けたどんなコースよりも、一番しんどいかもしれません。
でもそのくらい大切なものと向き合っているのだと思います。
それほどコアにあるものは、
「痛みなく、苦しむことなく、トラウマや感情を解決します。」という一時期はやったカウンセリングや魔法では絶対に解決しないと思います。
現実生活で向き合って、何とかしていくものだと思います。
そのプロセスをみなさんともシェアしながら、自分で頭を整理しながら、進んでいこうと思います。
瞑想はそんな中で自分を静かにしてくれるサポート役にもなってくれています。
「返事が欲しい」
「ずっと一緒にいたい」
こんな自分の部分があります。
いつもはそれほど活発ではないのですが、好きな人が出来るととたんに活発になる部分です。
今すぐ欲しくて、待つのが本当に苦手です。
会えない時間が長かったり、
返事が来ない時間が長かったりすると、
もうパニック状態に近くなります。
「どうして会ってくれないんだろう、他にいい人がいるのかな」
「返事しづらいメールだったのかな、あんなこと書くべきじゃなかったかな」
心配や不安はどんどん増えて、
最後にはもう生きているのがしんどい、そんな風に思うことさえあります。
大げさに言っているんじゃなく、
本当の話です。
今好きになった人とも、なかなか会えなくて、それが本当に苦手な僕です。
より厳密に言えば、僕のある部分が、それを本当に苦手としています。
会えないのが苦手なのは僕のすべてではなくて、僕の中には、会えなくても返事がなくても落ち着き、平安な気持ちの自分はいます。
それは、ここでよく書いている「自分の軸」のことで、具体的には第三の目や頭の上の器官に意識を置いていると、自分の軸に戻ってこられる感じがします。
であれば、常にそこに意識を置いていれば、
今書いているような心配や不安は出てこないんじゃないの?
って思われるかもしれないのですが、
僕にとってこれが本当に苦手で、難しいものなんです。
たぶん、他のこと、つまり恋愛に関係しないことであれば結構すんなりできたりします。
まあ返事が来ないのは忙しいんだろう、
向こうもやることはあるし。
とすんなり受け入れられます。
でもこれが恋愛となったとたん難しい。
これは今に始まったことではなく、ずっと昔からです。
振り返れば、例えば、若い頃彼氏のいる人を好きになった時、
もうその人のことしか思えなくて、今その人が何をしているのかずっと気になって、一緒にいたくてしょうがない、ということがありました。
その時はまだ時間もあって、相手も僕と一緒にいる時間もあり、気持ちもあったので一緒にいれて、一緒にいるときは落ち着いていました。
でもこれは、先ほどから書いている自分の「会いたい」「ずっと一緒にいたい」という部分を二人の関係で満たしていて、あまり健全ではなかったように思います。
もちろん愛もあったのですが、知らず知らずにこうした自分の部分を満たそうと躍起になっていました。
結果その人は彼氏と別れない決断をして、
僕達の間は終わりましたが、その後が本当に大変でした。
2年間ぐらい引きづりました。
仕事中はまだ集中できているからいいんですが、例えばトイレに席をたって、鏡を見ると涙があふれてきてしまう、電車に乗って彼のことを思い出すと涙が止まらなくなる、本当にそんなことがずっと続きました。
今思うと、彼と分かれて「会いたい」「一緒にいたい」という自分の部分が満たされなくてパニックだった僕でした。
会えない、一緒にいられない、ということでの寂しさを他の男で満たそうとしたりして、
当たり前ですがそれでは満足するはずもなく、結局うまくいかない。
こんなことを2年くらい繰り返していました。
昨年北海道の人から口説かれた時もそう。
会ってもいないのに、君のことが好きだ、好きだ、とメールで猛アタックの彼に、運命の出会いかもと自分の見失い、連絡を取り合っていました。
最初はやりとりが頻繁だからいいのですが、だんだん相手から返事が来なかったり、ラインが既読のまま返事がなかったり、以前のように熱烈な言葉を書いてくれなくなると、いつもの不安が出てきていました。
「なぜ返事してくれないのだろう」「もう僕のこと前ほど好きじゃないのかな」
離れたくない、もっと近づきたいと、メールのチェックがやめられなくなったり、返事がないことにさらにこちらから連絡をしてしまう、そしてやっぱり期待した返事は来ない。。。そんな悪循環。
今回好きになった人との間でも、この自分の部分が活発です。
この僕の部分、何が一番問題かというと、とにかくエンドレスなんです。
つまり、相手からたとえ返事が来たとして、一時的にうれしくなっても、また返事が来ないと不安になる。
もし会えたとしても、また会いたい、ずっと一緒にいたい、となってしまう。
きりがないんですね。終わりがない。
いつも、どこでも、どんな時も、
会えて、返事が欲しくて、大切にされたくて。
一緒に住みたい、24時間一緒にいたい、なんて気持ちすら出てきました。
この自分の部分に今回はずいぶん自覚的ですが、それでも活発で、本当にしんどくなることがあります。
会えない時間が長いので、余計にそうです。
でも、そんな時、
「もし会えたとしたら、僕はハッピーなの?それでこの不安は終わる?」
と考えると、明らかにNOなんですよね。
相手がどういう行動をとるかということは引き金にはなっているかもしれませんが、究極的な原因ではないわけです。
自分の中にあるこの今すぐ「会いたい」「返事が欲しい」「一緒にいたい」というこの部分があるからなんです。
そこがあるから、相手と会えないということが引き金になって、不安になる。
結局は外的環境でハッピーになれるわけじゃなくて、
この自分の部分に耳を傾けない、そっちにどっぷり浸からない、
そして本来の自分に戻る、それが本当の解決方法のわけです。
今回はそれに自覚的ですが、やっぱり波のようにこの自分の部分が活発になる時があって、
まるで感情と自分の軸とをいったりきたりしているような感じです。
どっぷり浸かると大パニック。
相手の答えが欲しい、相手に会いたい、となりますが、
そんなとき、ぐっとこらえて、自分の軸に戻る。
会っても解決にならない、返事が来ても、また同じことの繰り返し。
そう言い聞かせて、自分の軸へ。
たぶん、自分の苦手なものの中でトップに入るんだと思います。
好きになった人と会えない、その人といつ会えるかわからない。
好きになった人から返事がない。
それで活発になる自分の部分。エンドレスな、パターンの自分。
これとここ2週間くらいずっと向き合う日々です。
熱も出て、気づけて、落ち着いて、また波のように感情が押し寄せて、自分の軸に戻って。
僕の中に深くできあがったパターンからの卒業はそんなにたやすいものじゃないんですが、
でもここと向き合って、ここをよくしていかないと、結局また同じことを繰り返すだけです。
だから、一生懸命がんばっています。
一気に解決できればうれしいのですが、なかなかそんな簡単なものではありません。ちょっとずつでも前進したい。そんな努力の日々。
友達も温かく見守ってくれています。
友達に、「相手の事情もあるからね」と言われて、確かにそうだと思いました。
僕のエンドレスな部分は、「そんなこと言ったって、会いたいんだもん。会えると期待していたのに!」なんてやかましいのですが、友達もそこには全く耳を傾けてくれません。
笑ってさようなら。
本当にこれが大切で、こういう自分の部分に耳を傾け、それを満たそうとしていると、抜け出せなくなるんです。
エンドレスだから。
それを友達もわかっているんでしょうね。
自分を自分で分析している時、ふと気づきましたが、このエンドレスに求め続ける自分の部分は、母親に対する自分の気持ちに似ているなと思いました。
お母さんはいつでも一緒にいてくれる、僕の欲しい物を何でも与えてくれる、困ったら手を差し伸べてくれる。そうすれば僕はハッピー。
逆に、満たされないとぎゃんぎゃんさわぐ、あばれる。小さな子どものようです。
小さい頃に自分が母との間で作った関係性が、今のこの僕の部分とすごく似ています。
いつでも会いたい、ずっと一緒にいたい、すぐ返事が欲しい。すぐ満たされたいと欲する。
満たされないとぎゃんぎゃん自分の中でうるさくなる。
会えないことが本当に苦手。待つことが本当に苦しい。
何度も言いますが、周りに原因があるんじゃなく、自分の中にあるんですよね。結局。
この自分の部分にひっぱられず、本当の自分ではなくあくまで自分のパターンと捉え、自分の軸に戻る、本来の自分に戻る、これしか解決方法はないと思います。
言葉で言うのは本当に簡単なんですが、
小さい頃から出来上がった長年のパターンで、自分の最も苦手とすることなので、難しいです。
今回、
好きになった相手となかなか会えない、
こうした状況になっているのは、きっと僕を成長させるためなのかもしれない、
神様からのギフトかもしれない、
そう思うことがあります。
いつも一緒にいられる人じゃなく、なかなか一緒にいられない人と、どれだけ自分の「会いたい」「返事が欲しい」「ずっと一緒にいたい」という部分に翻弄されないで、向き合えるか。
自分の軸を保てるか。
トレーニングのようなもの。
相当ハードですが。笑。
よく、研修やワークショップでは本当に人間は変わらない、それはきっかけにはなるかもしれないけど、一番大切なのは現実の生活、普段の生活、と言われます。
これは本当にそうだと今回思います。
クレアビジョンという瞑想の学校でも、今向き合っている自分の部分を何度も見ましたし、アイシスもしました。
でもそれだけで全てが解決するわけじゃなく、実際の生活でどれだけその自分の部分に翻弄されないで生きられるか。
現場は現実社会ですね。
もちろん、アイシスをしたり、コースに参加することで、それと向き合ったり、解決に向けて進展するのは事実です。もしアイシスやコースすらなかったら、今の僕はどうなっていたんだろうと思います。
でもそれが最終解決方法ではないわけです。最終的に待っているのは現実の生活でどう対処できるか。
自分にとって簡単なものはすっとクリアできますが、
今回のように大きなものは難題です。
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でもそのくらい大切なものと向き合っているのだと思います。
それほどコアにあるものは、
「痛みなく、苦しむことなく、トラウマや感情を解決します。」という一時期はやったカウンセリングや魔法では絶対に解決しないと思います。
現実生活で向き合って、何とかしていくものだと思います。
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