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無償の愛、つかまない愛を実践するための学びのプロセス。

2017年04月18日

無償の愛、つかまない愛を実践するための学びのプロセス。


アパートのベランダから見えた緑、
昨日から工事が始まり、除かれていってしまっています。
おそらく家か建物が建つんでしょうね。
まだ残っているこの木は残るといいなと思いますが、こちらの所有者の方の権限ですから、
これまで緑で癒してくれたことへ感謝の気持ちを持ちたいと思います。

さて、先日から書いている自分のプロセス。好きな人ができた時に振り回される自分。
今日もそれについて書きたいと思います。
一つ突破口が見えた、今はそんな心境です。

相手は自分の用事があり、会えない日が続き、お返事もなかったりして、
昨夜はふと目がさめて、ドツボにはまりました。

返事がない。
ショックで身体中に電流が流れているかのよう。
大パニックで、水を飲んでも、落ち着こうとしても全然落ち着けない。
不安で不安で仕方なくなって、自分の身体を傷つけたい、そんな気さえ。

今回の一連の出来事で、たまに襲ってくる自傷欲求。
ただパニックの中で混乱しているのですが、その時はもう周りも見えない、そのパニックのドツボだから、どう抜け出せられるのかわからず、自分を傷つけて、もう死んでしまいたい、そんな気さえ起こるのです。
でもその一方で、死ぬ勇気まではなく、自分を傷つけても余計にドツボにはまるだけ、と思いとどまる。

そんな深夜のもがき苦しむ自分。
自分の軸に戻ろうとしても全然うまくいかず、
友人に電話で相談しようか、相手にメールしようか、
もうぐるぐる頭の中を考えが巡るだけ。

こういう時って本当にそこから抜け出せるという気が全くしないものです。
絶望や、不安、もうだめ、限界。
そんな気持ちしか出てきません。

ただ、昨日はなぜかふと、
「普段は感じないようにと思っている自分の会いたい、返事が欲しい、不安に耳を傾けてみよう。」
と布団にうつぶせになり、その声を特に感じる身体の部分に意識を向け、
ただ感じて見ました。

どんなことを求めているのか。
このあたりから少し気が楽になってきたのか、眠くなったのか、記憶もあいまいなのですが、
自分のある部分が、このいろんな声を発して要求している自分に、まるで親が子どもを諭すように、
「でもね、それは答えられない。今はすごく大きな声になっているけど、実は一時的なもの。今は続いても、来週も、来月も、ずっと続くわけじゃないい。」
と語りかけていて、するとぴたっとやみました。

本当に。
あの大混乱、もう終わりだ、死にたい(何度も言いますが、死ぬ勇気はありませんのでご心配なく。その一瞬の気の迷いのことを書いています。)、という声しか聞こえなかったのが、まるでうそのように、ぴたっと止まりました。

あれ?なんでうまくいったんだろう。
自分でもよくわからないまま、
ただ言えるのは、どっぷりドツボにはまっている自分ではない、違う自分の方からそのドツボの自分を感じられたのがよかったのかな、とは思います。

こうしたやり方をお勧めするわけではなく、
あくまで自分に起こったこととして正直に書いています。

深夜のもがき苦しみを終え、今朝起きるとまたメールをチェックして、返事がない、落ち込む、そんな気持ちもある中で瞑想をしました。

瞑想で自分の第三の目などを感じ、
一番最後のプロセスの頃だったと思います。

親友の山野本さんの昨日のブログを思い出しました。
悲しみや不幸の感情のドツボにハマり過ぎない。~言い訳ブスから卒業しましょう~

ここに、ドツボにはまると、小さな視点でしか物事が見られなくなり、大きな視点がなくなっている、
木ばかり見て、森を見ていない、という例が出ていました。

自分にも当てはまることだと思って、
自分だったら、大きな視点ってなんだろうって感じたとき、
ふっと、本来の自分を感じました。

それが大きな視点。
それに対して、小さな視点というのは、
好きな相手から返事が欲しい、会って欲しい、自分の思い通りに動いて欲しい、自分のことをいつも好きでいて欲しい、浮気しないで欲しい、そんな自分。

自分がまさにこの小さな視点で相手とのことを見ているとき、
不安になり、ドツボにはまり、もう抜け出せられないという気持ちになっていました。

大きな視点で、つまり、本来の自分で相手を感じたときは全く違いました。
見返りを求めない。
相手のベスト、最善を心から願う。
そんな愛を感じました。

低いところで、満たし満たされあうような関係ではなく、
つまり、会ってくれてうれしい、返事してくれてうれしい、そういったレベルではなく、
それらを越えた、相手にただ愛情が出てくる、相手の最善を祈るような気持ち。

これが今回見失っていた自分なんだと気づけました。
木ばかり見ていると、返事が来ていない、会ってくれない、もうつきあってくれない、そんな気持ちしか生まれませんし、
もがき苦しみ、のたうち回り、実は体重も4キロ近く落ちました。ごはんもろくに食べられない。
そんな日々が続いているのです。

しかし、今朝の瞑想の最後で自分が森の視点になってみた時、まったく景色が違って見えました。
相手がどうする、どうしてくれるではない、
そんなことは関係のない、相手を思う気持ち。相手を大切にしたい気持ち。相手の幸せを願う気持ち。

かまってかまって、とうるさい自分の声とは全然違う、
高いところで、静かに、やさしくある、そんな愛でした。

そして、今回好きになった相手だけではなく、
自分が関わっている、大切な人たちも思いながら、そうした人たちの最善を願う気持ちもあって、
それは今好きになっている人に向けている気持ちと同じ種類なんだなって思いました。

そしてこれまでアメリカで付き合った元彼や、振り回されてきたいろんな男性のことも、
なんだか許せるというか、彼らも含め、みんなが幸せになって欲しいな、最善を祈る、そんな気持ちでした。

さらに、自分の最善も祈る気持ちでもありました。
今回のこののたうちまわるような経験や、そこに浸りそうになっていかんいかんと、自分を自分の軸に戻そうと頑張っているプロセス。
これらを通じて、自分がもっと成長できるように、もっと本来の自分から相手を愛せるように、そんな自分になれるようにと祈る自分も感じました。

それはきっと、神様の願いでもあるように思います。自分の、みんなの最善を祈られている。そんな視点。


僕は別に特定の宗教を信じているわけでもなく、
また世界を博愛で満たしましょうとか、全ての人を許しましょう、何でも許しましょうとは思っていません。

ただ、今回のこの本当にきついプロセスを経ていると、
何か自分だけではない、もっと大きな流れの力があるのではないかと思ってしまいます。

自分の本当に苦手なことを目の前に課題として提示してくださり、
それにもがき、苦しみ、でも逃げず、何とか自分で乗り越えようとして、
そして何か一歩でも前に進めるのであれば、自分が今後同じ過ちを繰り返さなくなる、成長できる。

自分の最善を思ってくださっている何か大きな力が、僕の今のプロセスを引き起こしていて、
それの最中なんだろうなと思ってしまいます。

これはあくまで僕の経験で、
絶対になにか神様のような存在がいるとか、大きな流れが存在すると主張出来るほどの根拠があるわけでもないのですが、
何かそう思ってしまうのです。

相手からメールが欲しい、返事が欲しい、会って欲しい、次会えるのかはっきりして欲しい、
そんな木のレベルで今回本当にもがき苦しんで、もうここから抜け出せられない、そんな気持ちまで味わったのですが、
でももっと高い、森の視点、本来の自分の視点から感じると、
ただ無償の愛しかありませんでした。
みかえりがなくても、相手の最善を思う、そんな気持ち。

今回のプロセスは、僕がその無償の愛で相手を愛せられるか、
そしてその愛の視点で行動できるか、愛を実践できるか、
小さな我のレベルに引っ張り込まれないで、自分の軸に戻れるか、
その学びのプロセスなんだと今朝思いました。

きっとこれが答えのような気がします。

まあ、またいろんなプロセスが待っていて、全く違うことを今後言うかもしれない、
という限定付ですが。


でも、この本来の自分の愛を感じたとき、とてもやさしい気持ちになれているのは事実で、
相手から返事が来ない、会えないという寂しさや、相手と恋人になれないといった不安がちょっとは来るのですが、それほど以前のように自分にダメージを与えないように感じています。

もちろん、心がぎゅってなったりすることもあるのですが、
それは肉体と思考や感情を持つ私達だから当然だとは思うのですが、
開いた心で、相手をつかまないで、いろんな痛みも受けつつも受け流すことができる、
それが本当の愛、無償の愛、相手の最善を思う愛なんだと思います。

いつも会えてすぐ返事をくれて、次何をするかはっきり予定が立つ人を好きになっていたら、
こんな経験はなかったと思います。
例えば、学生時代に三角関係になった相手とは、いつでも返事が来て、いつでも会ってくれて、次に何をするか予定がいつも立っていました。
でもそこでは、木のレベルで、満たし、満たされあうことばかりに熱中して、もっと高い、本来の自分から相手を愛するようなことがなかなか出来ていなかったと感じます。
それはいわば、つかむ愛で、つかんでいる間は幸せですが、相手をつかめなくなると、つまり、相手が彼氏と別れられないとなると絶望する、そんな愛です。

今回は自分が最も苦手とし、これまでの人生でも何度もずるずると繰り返しパターンとなっている一番難しい状況で、僕が無償の愛をどこまで実践できるかが、きっと神様が僕を試し、成長させようとしているんだと思います。

相手をつかまない愛。
相手から見返りがなくても相手の最善を祈る愛。
僕本来の愛。
そこに気づかせる。
そこを実践させる。
そのためのプロセス。

これが今の時点での僕の結論です。


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Posted by 竹内清文 at 09:25│Comments(0)その他
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